🗓 2019年11月23日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

今回は趣向を変えて八重の書簡を紹介したい。

【翻刻】
拝啓 日増に秋気相催
申候処、御皆々様御機嫌
よく珍重に奉存候。
扨先達御地に罷出候折
には御世話様に相成難
有奉存候。其折に
御依頼願申上置候種
物御送付被成下、昨日
落手致申候。御厚意
之段難有、明年者
久々に而古郷のクヽタチ(茎立)
と唐もろこしが当地
に食される事と只今より
たのし〔み〕待居申候。先達而
拝見致申候公会堂は
もはや出来上り候半、
さぞ美(見)事成事と
存居申候。私も当五日
帰京致、長々不在故
多用に而困り居申候。先
は御伺ひ御礼迄 草々
    申上奉候
        不一
岩澤庄伍様
 尚々時下御いとへ(ひ)被遊候様。
金(兼)子様に御面会之折によろしく
        八重子

【解説】
 この書簡は本会幹事長・岩澤信千代氏所蔵のものである。名の出ている「岩澤庄伍」とは、信千代氏の曽祖父である。この庄伍氏は、会津若松教会牧師・兼子重光(常五郎)の甥にあたるので、その縁で八重と親しく話をしたのだろう。
 大正10年(1921年)7月、喜寿を迎えた八重は山形在住の広津家を訪問し、そこから会津若松・安中・東京と旅行し、9月5日に帰宅している。この書簡は、庄伍氏から野菜の種を送ってもらった礼状として9月12日に投函されたものであった。
 書簡にある「ククタチ」は「茎立」のことで、あぶらな科の食用植物(青菜の一種)のこととされている。古く『万葉集』東歌に、
   上野かみつけの佐野のくくたち折りはやし我は待たむゑ今年来ずとも(3406番)
と詠まれているように、東北独自のものだったことが察せられる。届いた種は早速新島家の広い畑に蒔かれ、収穫されたとうもろこしやくくたちによって、八重の胃袋は満たされたことだろう。
 岩澤家には、その折に「勇婦竹子女史 七十七新島八重子」と書き込んでもらった中野竹子の絵や、周囲に渡辺東郊が鶴ヶ城を描いた「明日の夜は」歌の短冊も伝えられている。なおこの書簡の末尾に「不一」とあるが、それが信千代氏の著書のタイトルに引用されているのである。