🗓 2020年05月23日
吉海 直人
東海散士(柴四朗)の『佳人之奇遇』(木版和綴本)は、当時のベストセラーだった。明治18年に初編が刊行された後、明治21年の4編まで続いている。さらに明治24年に5編が出版された後、しばらく間が空いているが、明治30年に6編から8編まで続けて刊行され、計8編(16巻)で完結した。
内容は政治小説で、東海散士がアメリカへ渡航し、アイルランドから亡命した紅蓮やスペイン革命に失敗した将軍の娘幽蘭に出会うというものである。それがタイトルの「佳人」との「奇遇」という意味である。さらに中国明朝も絡みつつ、ヨーロッパ列強の帝国主義に翻弄された弱小民族の悲劇と交情が主題となっている。
後半は東海散士が谷干城に随行してヨーロッパを視察した時の体験をもとに、朝鮮半島をめぐる議論や日清戦争後の三国干渉などが主体となり、佳人の話ではなくなっている。そういった敗者の悲史が、同じく敗北した会津藩士の手によって綴られているのだ。
その2編に、会津城籠城と敗北の話が挿入されているが、それは柴四朗が落城体験者だから書けたのだろう。本文をあげると、
明日よりはいづくの人かながむらん なれし大城にのこる月影
と髪を薙て死者の冥福を祈れり。
と短く描かれている。この歌は新島八重の代表歌だが、『佳人之奇遇』2編では作者名が記されておらず、「一婦」の歌となっている(八重も佳人の一人?)。
ここに見える「国歌」とは、いわゆる「君が代」のことではなく、単純に「和歌」という意味である。そのことは挟み込まれている石版挿絵に、「會津城中烈婦和歌ヲ遺スノ図」とあることもヒントになる。ここでは「一婦」が「烈婦」になっている。
和歌の後に「髪を薙て死者の冥福を祈」るという説明は、まるで出家したように受け取れるが、もちろん八重は出家などしていない。ここには多少の虚構というか脚色があるようだ。
それとは別に、和歌の本文異同が気になる。八重の自筆和歌と比較すると、まず初句の①「明日の夜は」が「明日よりは」となっている。どちらでも意味は通るが、「夜」だと今日と明日の「夜」を対比していることになる。一方「よりは」だと、今までと明日からの対比になる。「なれし」(慣れし)との整合性からすれば、「よりは」の方がふさわしいかもしれないが、月との関係で「夜」の方も捨てがたい。
続いて2句目の異同として、②「誰」「人」はどうだろうか。これなど自分と他人を対比させているのだから、どちらも間違いではない。他の資料を参照すると、「誰」の方が優勢のようである。
最後に4句目の③「御城」「大城」があげられる。確かに会津城は大きい城なのでしょうが、もともと「御城」とあったものを「お城」と読んだことで、それが「大城」に転訛したのかもしれない。いずれにしても『佳人之奇遇』から引用したものは、「明日よりは」「人」「大城」になっているのですぐわかる。
ここで石版挿絵に目を向けてみよう。挿絵なんてはみんな同じだと思っていたのだが、いくつかの本を比較してみたところ、少なくとも4種類の異版が見つかった。その内の1つは、お城の形がまったく違っている。後の3つは類似しているが、壁に書かれた歌の形が違っているし、枠外に文字があるかないかでも違っている。
わかりやすい枠外で比較すると、まず文字がないもの、左下に短く「小柴英印行」とあるもの、住所とともに「神田区東松下町十六番地小柴英印行」とあるものの3種がある。これ以外にもまだありそうだが、石版挿絵に少なくとも4種以上の異版があることだけははっきりしている。