🗓 2023年12月28日

毎年タクアンを作っている。大体50本ほど樽に入るだけ漬けている。味は毎年変わる。今年はここ最近では一番の失敗作となった。毎年大根を干して塩などを入れる。女房はいつも見て見ぬふりだ。ただ、樽に並べて入れる工程だけは手伝ってくれる。塩など調味料の分量はおふくろが漬けていた分量である。ただし、匁表示なのでkgに直して計算している。

 今年の失敗の原因はわかっている。最後に重しを載せるのだが漬物石の量が少なかった。それで、液体の量が少なくまんべんなく大根にいきわたらず色・塩分とも不十分だったのだ。幸い、味はまあまあだったが、子供のころ食べたタクワンとは似ても非なるものであった。会津の冬は長い。大人たちのお茶飲みの時のお茶菓子は饅頭ではなくタクワンが主流であった。

 会津藩士子孫会の北原秀光会長が観光大使の委嘱式で会津若松市役所に来たので我が家に寄ってもらい、たくわんを差し上げた。11月頃北原さんから、北海道根室にいると電話があった。梶原平馬の墓参りをしたという。私が札幌で会社勤めをしていた時に居酒屋で飲んでいた酒は根室の「北の勝」である。一升呑んでも二日酔いにならなかった。この季節のなると思い出されるのは北の勝とシャコの刺身である。あの太いシャコの刺身は北海道でしか食べられない。根室にいると聞いたので北原さんに北の勝を頼んだのだが、後日宅急便で届いて飲んだ。私が居酒屋で飲んでいたのは二級酒であったが送られてきたのは純米酒で高価なものだった。ネットで検索すると720mlしかなく、一升瓶1.8lはなく手に入らないものであった。バーター取引で酒の替わりにタクワンを差し上げることになっていたので、会津に来られた時お渡ししたのである。夜になり仙台に帰宅した北原さんから電話があり「今タクワンを食べたがおいしかった。来年も頼む」と電話があった。

 会津藩筆頭家老北原釆女家は斗南に移住し、その後北海道に渡った。北海道で生まれた秀光さんは会津のタクワンは初めてだったろう。これはスーパーでは買えない。似たものはあるが同じもの同じ味のものは見たことがない。

 話は変わるが、櫻井よしこ先生にも送った。送る前に先生の意向を聞いた。昨年送ったのだが今年も受け取っていただけるか打診したのである。独特の臭いがあるので嫌いな人は嫌いだからである。「日本の伝統的な食べ物は好きです」と返答があったので贈った。その礼状である。

私はタクワンのある時は、タクワンとマーガリンがあれば飯がおいしく食える。熱いご飯にマーガリンを載せる。それと一緒にタクワンを食べる。口の中でお米とタクワンとマーガリンがまじりあう。これだと何杯でも飯が食える。これは私の裏メニューである。

(文責:岩澤信千代)