🗓 2021年06月26日
吉海 直人
みなさんは「ローマ字の日」があることをご存じですか。といっても、そんなに古くからあるものではありません。大正11年5月20日に日本ローマ字社が設立されたのを記念して、昭和30年に制定されたものだからです。せっかくなので、ローマ字について少しだけ勉強しておきましょう。もちろんみなさんはローマ字で書けますよね。これは漢字・かなに続く第3の日本語表記です(漢字では「羅馬字」)。特に国際化が進んだことで、パスポートを含めてローマ字表記を求められることが最近増加してきました。
かつてローマ字を覚えたての幼い私は、英語との違いなどわからず、ローマ字で書けば外国人にも意味が通じると本気で思っていました。それが心に残っていたためか、若い頃は何で日本人がローマ字で自分の名前を書かなければならないのか、とやや批判的でした。しかし外国人にしてみれば、人名や地名の発音が一目でわかる非常に便利な表記だったのです。どうやらローマ字というのは、日本人が必要だったのではなく、西欧との関わりの中で西洋人のために生み出されたものだったようです。
そもそも私たちが使用しているのは英語のアルファベットなのに、何故ローマ字と称するのでしょうか。それは日本語なのに漢字と称していることと無縁ではないかもしれません。ローマ字というのは、古代ローマ帝国で用いられていたラテン文字のことです。英語はそのラテン語から派生しているので、そのままアルファベットを使用しています。なおアルファベットの語源は、ギリシャ語のα(アルファ)・β(ベーター)でした。
日本で最初にローマ字が使用されたのは、古く室町時代のことです。日本との交易を求めて、はるばるポルトガル人がやってきました。それに便乗して、イエズス会の宣教師達も布教のためにやってきます。彼らは日本語を習得する手段として、日本語をローマ字で書き取りました。日本人も英語に読み方(ルビ)をかなで振ったりしますよね。その教科書として活版印刷機で刷られたのが、ポルトガル式ローマ字で書かれた『天草版伊曽保物語』(イソップ物語・1593年)であり、『日葡辞書』(1603年)でした。これは今となっては、当時の日本語の発音を知る上で非常に貴重な資料とされています。
しかしながらその後、日本はキリシタンを禁止して鎖国政策を取ります。そのためローマ字は途絶えてしまいました。長い鎖国時代を経て、江戸時代末期になると、再び西欧諸国との交易が行われます。そこで登場したのがいわゆるヘボン式でした。アメリカ人宣教師であるヘボン(「ヘップバーン」です)は、漢字とかなで表記された日本語の習得がやっかいなので、簡単にできる英語風ローマ字表記を推奨しました。安政五年(1867年)のことです。これこそ外国人のための日本語表記だったのです。
それに対して日本人の手で、日本人に都合のいいローマ字も明治18年に考案されました。それが田中館愛橘の日本式ローマ字です。それが改良されて昭和12年には訓令式ローマ字が法律で定められました。両者の違いは「し」を「si」と書くのが日本式で、「shi」と書くのがヘボン式です。「ち・つ」は「ti・tu」「chi・tsu」となり、「しゃ・ちゃ」は「sya・tya」「sha・cha」と異なります。富士を「huzi」と書くか「fuji」と書くか、トンボを「tonbo」と書くか「tombo」と書くかはどうでしょう。学校では日本式を学びましたが、パスポートはヘボン式なので、今でも多少の混乱は残っています。一番の問題は、「大野」と「小野」の区別がないこと(長音無表記)でしょうか。
ところで日本式普及の背景には、漢字表記を廃止してローマ字表記にする方が世界に通用するという、いわゆる「ローマ字国字論」の論争がありました。また第二次世界大戦敗戦後、GHQに占領統治されていた時も、ローマ字表記に統一する案が出されたほどです。仮にそうなっていたら、日本はその時点で漢字文化圏から離れたことでしょう。もちろん現在も漢字かな表記のままですが、ローマ字にはそういった歴史的背景や変遷があったことを忘れてはいけません。
平成に入ってからワープロやパソコンが急速に普及したことで、ローマ字入力の便利さを思い知らされました。ローマ字表記では文章の意味を読み取るのに多少時間を要しますが、キーボードでの入力となると仮名入力より断然早いし便利だからです。もともとローマ字は日本語の一部なので、これからは用途に応じて使い分けるのが得策ではないでしょうか。