🗓 2022年12月31日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

歌謡曲で、自分の母親のことを「お袋」とか「お袋さん」と呼んでいるのを耳にしたことがありますよね。武田鉄矢の「母に捧げるバラード」では、語りでは「お母さん」といいながら、歌では「おふくろ」といい換えています。また母親自身は「母ちゃん」ですね。気になって簡単な辞書を引いてみたところ、自分の母のことを他人に対して「おふくろ」というと説明してあったので、武田鉄矢の場合はそれで問題なさそうです。
 ところが千昌夫の「おふくろ」は、自分の母親に「おふくろよ」と呼びかけています。また対として「親父」も出てきます。森進一の「おふくろさん」にしても、自分の母に対して「おふくろさんよ」と呼びかけていますよね。これは日本語の用法としてどうなのか、ちょっと心配になりました。
 ということで、いつごろから「おふくろ」というようになったのか、歴史的なことも調べてみたくなりました。ついでに「おふくろ」の対となっている「おやじ」についてはどうなのでしょうか。まず時代を遡って古い用例を調べてみたところ、「おやじ」と「おふくろ」は最初から対として使われていたわけではありませんでした。どちらの言い方が古いかというと、断然「おふくろ」の方が古いことがわかりました。
 「おふくろ」が既に室町時代から使われていたのに対して、「おやじ」は江戸時代以前の用例が見当たりません。そもそも『梅津政景日記』慶長七年(1612年)条にある「おやぢ」の用例は、実の父親ではなく親分・主人の意味で使われています。父親の意味では、下って元禄以降の用例しかあがっていません。今でも父親以外に「八百屋のおやじ」などといっているし、北海道ではヒグマのことを「山親爺」と称していますよね。
 一方の「おふくろ」は、『康富記』の享徳四年(1455年)条に「御袋大舘兵庫頭妹也」と出ています。しかもこれはへりくだっているのではなく、逆に母を敬う用法になっています。同様に『鎌倉殿中以下年中行事』(1454年頃)には、「御台様、御袋様、上臈、中臈、下臈、みなみな御所へ御参りあり」とあって、「御袋様」はやはり尊称として用いられていました。尊敬の「御」が付いているのだから当然でしょう。
 次に虎明本狂言「舎弟」には、「てておやはしんぶと云、ははおやをばおふくろ」とありました。「しんぶ」は「親父」の音読みでしょう。これを「おやじ」と読めば「おふくろ」と対になります。ただし「おやじ」に敬意は感じられません。また『日葡辞書』には「フクロ母。ふつうはヲフクロと言い、これは女性たちのあいだでも、また、他の人々(男性)のあいだでも用いる」と記されています。最近は男性(初老の息子)が自分の母親のことを「お袋」と呼び、女性(娘)はいわないといわれているようですが、古くはむしろ女性たちが堂々と使っていたことになります。時代の推移の中で、用法は大きく変容しているのです。
 もう一つ、『守貞漫稿』(1853年)には関西と関東の用法の違いとして、

京坂の俗は他の母の剃髪ていはつしたるを御袋様と云、江戸にては薙髪有髪及び老長を択ばず他の母を御袋様と云。

とあって、関西では剃髪した母を「御袋様」と限定していうのに対して、江戸では剃髪していなくてもいうとありました。しかも「御袋様」は他人の母のこととされています。その方が敬称としてはふさわしいことになります。

まとめると、古く「おふくろ」は他人の母親に対する敬称として、貴族階級で用いられていたものが、次第に武士階級の人も使用するようになり、それがさらに大衆化していく中で、敬意が親しみになり、ついに自分の母親に対するへりくだった言い方にまで価値が下落していったことになります。そうなってはじめて、敬意のない「おやじ」と釣り合う言い方になったのです。
 気になるのが「おふくろ」の語源ですが、これはいまだ解明されていません。江戸時代の説では、

1子供は母親の胎内にいるので、袋状の「胞衣えな」から「袋」と称されるようになった。
 2子供は母のふところに抱かれているので、「ふところ」から「ふくろ」になった。
 3母は家計に用いる金銭を「袋」(巾着)から出し入れするので、「ふくろ」と称されるようになった。

などとありますが、どれも後付けのようで納得できません。

そもそも「おふくろ」は幼児が口にする言葉ではなく、ある程度大きくなった息子が、「ママ」とか「お母さん」というのが照れくさくなって、あるいは他人を気にするようになって口にするというコメントもありました。これなら誤用ではないかもしれません。みなさんは自分の母親のことをなんと呼んでいますか。