🗓 2023年06月10日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

森繁久弥や加藤登紀子が歌って大ヒットした「知床旅情」はご存知ですよね。この曲は1960年に東宝映画『地の涯に生きるもの』の撮影で羅臼に滞在していた森繁久弥が、ロケの最終日に即興で歌ったものでした。当初は別れにふさわしく「さらば羅臼よ」という曲名だったそうです。
 曲は森繁の作曲というより、地元で古くから歌われていた曲を『オホーツクの舟歌』にアレンジしたものでした。それもあってか、曲の出だしは「春は名のみの」という『早春賦』に似ています。その『早春賦』にしても、モーツアルトの『春への憧れ』に似ているといわれています。是非一度聴き比べてみてください。
 一方、歌詞にはわかりにくい表現が含まれています。一番に「白夜は明ける」とありますが、「白夜」というのはかなり北極に近いところで生じる気象現象ですから、北海道で「白夜」はありません。しかも本当の「白夜」であれば太陽は沈まないのですから、「明ける」こともないはずです。ついでながら、「白夜」は「はくや」と読むのが正解でした。それを森繁が「びゃくや」と読んだこと、「知床旅情」が流行したことで、いつしか「びゃくや」が一般的な読みとなってしまいました。既に国語辞典にも「びゃくや」と表記されています。
 次に二番の歌詞にある「ピリカ」はどうでしょうか。私など語感から、光っている星のことだと勘違いしていました。肝心の羅臼では、ホッケの幼魚の意味だそうです。それにもかわらず、森繁はそれをアイヌメノコ(若い女性)のつもりで使用してしまいました。そのためこれも、現在では「美しい女性」という意味で通用するようです。
 三番の「ラウスの村」には、「知床の村」というバージョンがあります。森繁はある時期「しれとこ」と歌っていました。タイトルが「知床旅情」なのですから、当然ですよね。ただし羅臼と知床は必ずしも一致していません。羅臼は狭い地域の呼称で、知床は広い地域を意味する呼称だからです。そこで折衷案として、「知床」と書いて「ラウス」と読ませています。
 それはさておき、「知床旅情」は名曲ですよね。加藤は夫の藤本敏夫氏(同志社大学中退)が歌うのを聞いて、強烈なインパクトを受けたそうです。そこで1970年にこの曲をカバーし、レコーディングしています。それが翌年のヒットチャートで一位となり、累計売り上げは百四十万枚を記録しました。
 問題は加藤の歌詞が、森繁の歌詞と微妙に違っていることです。例えば二番の「酔うほどに」は「飲むほどに」と違っているし、「君を今宵こそ」は「今宵こそ君を」に入れ替わっています。また三番の「白いカモメを」は「白いカモメよ」になっています。おそらくみなさんは、加藤バージョンの歌詞で歌っているのではないでしょうか。
 これは加藤が意図的に改変したのでしょうか。それともそういったバージョンで広まっていたのでしょうか。このうち三番の「白いカモメよ」が一番問題になっています。では「カモメよ」と「カモメを」はどちらが正しいのでしょうか。あるいは「よ」と「を」では意味がどう違うのでしょうか。ここできちんと考えてみましょう。
 まず三番の歌詞は、加藤バージョンでは、

別れの日は来た知床らうすの村にも 君は出て行く 峠を越えて
 わすれちゃいやだよ 気まぐれカラスさん 私を泣かすな 白いカモメよ

となっています。ここですぐに目につくのは、「カラス」と「カモメ」と鳥が二羽登場していることですね。ではこの二羽をどう対比的にとらえればいいのでしょうか。

もともとこの歌は、森繁が羅臼を去るにあたって、村民への別れを惜しんで歌ったものでした。そう考えると、一番の「俺たち」というのは、羅臼の村民のことになりそうです。ただそれでは面白くないので、二番からは若い男女の物語に仕立てられています。羅臼村の若い娘と旅の若者との出会いと別れです。
 二番の「君」「ピリカ」は、若者から見た若い娘のことでしょう。「ピリカが笑う」というのは、若者の思いが娘に通じたのでしょう。三番になると、見送る若い娘の目線に転換しています。ですから三番の「君」は若者のことですね。その若者は、カラスに喩えられています(旅がらす)。一方の若い娘がカモメです。要するに若い娘は、若者であるカラスに「忘れちゃいやだよ」と呼びかけ、また「私を泣かすな」この私=「白いかカモメを」と告げていることになります。これが「を」の解釈です。
 それが「よ」だったら、相手に対する呼びかけになるので、若者が若い娘である「カモメ」に、「私を泣かすな」と応じていることになります。「私」が若い娘から若者に代わりました。それはそれで通りそうですが、男の涙より若い娘の涙の方がいいですよね。
 なお、原作者である森繁は、ここは「を」でなければならないと加藤に注意したそうです。それもあって、現在の歌詞は「を」に修正されています。ただ「よ」で覚えた人がたくさんいるので、「よ」バージョンも当分生き残りそうです。