🗓 2024年01月10日
今日、3か月の定期検診に病院へ行ってきた。内科ともう一つの科を二つ受診してきた。いつも内科は満席だ。順番が回ると名前をフルネームで呼び出される。血益検査の時などは名前と生年月日が聞かれる。悪意のある人が隣にいれば個人情報筒抜けだ。病院側としては患者を間違えないようにする防衛策で、必要なプロセスであろう。
内科は人気(?)のある科なのでさすがに患者数は多い。1時間2時間待つのはざらだ。さて、自分の名前が呼ばれた。誰も振り向かない。「不一・・・新島八重の遺したもの」を書いた10年前ほど前に書いた時には地元新聞に掲載されたので、それなりに知らない人からも声をかけられた。今、そのようなことはない。
もし、看護師が「櫻井よしこさん」などど呼べばその場にいる人は一斉に振り向くだろう。サインを求める人も出てくるかもしれない。この差は大きい。有名でないことは気を遣わずどこにでも出没できる。ところがどうだろう。有名人は大手を振ってパチンコ店などへ出入りできないだろう。ここには無名人の方が少し自由に行動できるメリットがある。
今回のキックバック裏金問題では全国的には有名でない政治家が登場した。ある意味では歴史に名前が残る人々だ。数年先もキックバック問題が報道されれば何度でも映像に出てくるだろう。男児おぎゃあと生まれて歴史に名前を残すことは大変意味深いものである。創政会を立ち上げた竹下登が田中角栄邸で門前払いを受け黒い車で引き返した映像は皆さん何回も見ているだろう。田中角栄が地元に帰り黒塗りの車の中で涙を流しながら支援者に手を振った映像も有名だ。大野議員は有名な党人派議員大野伴睦の孫だ。歴史のかなたに名声を博した大野伴睦が亡霊のように現れたのには驚いた。
金銭・名誉に恵まれた有名人と金は無くても自由を謳歌できる無名人とどちらが幸せなのだろう?
大谷を含め歌手などが多額の寄付を被災地に行っている。まさにノブレス・オブリッジだ。これは大変すばらしいことだ。
(文責:岩澤信千代)