🗓 2025年03月25日

3月20日はあの忌まわしい地下鉄サリン事件から30年目にあたり、各マスコミで取り上げられた。実を言うと私も危機一髪だったのである。当時私は新横浜に住んでいて、会社がある茅場町に菊名経由で日比谷線で通っていたのである。証券会社の朝は早い。ばらまかれたのは1995年(平成7年3月20日午前8時頃)。私はその30分くらい前に霞が関を通過していた。会社に着いてニュースで事件を知ったのであるが、まさに危機一髪被害者になるところであった。東横線は日比谷線と乗り入れているので直通で茅場町駅まで行けた。犯人はラッシュ時を狙ったというが、寝坊でもして30分遅い電車に乗っていれば、私もこの世にいないという痛ましい事件だった。

 この年、阪神・淡路大震災 が1月17日午前5時46分に起こった。会社にきて株式市場がオープンになったが第二営業課長がそわそわして休憩室に行ったり来たりしている。唯一その部屋にテレビがあった。何をやっているのか不審に思ったので聞いた。関西で大地震が起こったという。関西に程遠い東北出身の私には遠い国の話の様だった。何故N課長が行ったり来たりしているかわからなかった。後になって彼から聞いた。彼は伊丹市出身で両親が住んでいるという。そりゃ大変だ。家族の安否が気になり仕事どころではない。当時私は第一営業課長で彼の上席に当たる。部下の不幸に対し不明だったことを思い出すたびに反省しきりである。幸いにも彼の実家は何の被害もなく、彼は現在その家に住んでいる。

(文責:岩澤信千代)